今、生きている事実に感謝して
スーパー大学生 / 吉崎詩歩
スーパー大学生 吉崎詩歩 【facebookアカウント:Shiho Yoshizaki】
今回インタビューさせて頂いた方は、 1990年生まれ、石川県出身、群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部 国際ビジネス課程4年の吉崎詩歩さんです。 17歳時にニュージーランド1年間高校留学、アメリカの大学で1年間起業学を学び、そこから2ヶ月間南アフリカに渡りコンサルティングプロジェクトを経験、現在は海外で得たことを社会に還元すべく活動中。大学時代は多数の学生団体にも所属し、学生生活思い残すことはないと語る、吉崎さん。 吉崎さんが常に抱いている使命感に迫ります!
私は2013年秋卒業予定の大学4年生で、2012年の夏にアメリカから帰国し、留学生活から得たことを活かし、起業家精神を養うための長期インターンシップの支援や、社会で活躍できる人材輩出のための就活セミナーの開催等行っています。これまでの自身の学びや気づきを自分のもので終わらせぬよう、様々な大学のオープンスクール等に参加し、ロジカルシンキングやプレゼンテーションスキル、目標達成スキルを磨き、積極的に想いを社会に発信しています。
実は私、高校時代までコンプレックスの塊だったんですよ。自分には何をしてもだめなんじゃないかと、知らず知らずのうちに自分の考え方や行動に制限をかけていました。 ただ、「変わりたい」という想いがあって、自分を変えるためには、環境を変えることが一番効果的だと思い留学を決意したんです。私は石川県の漁村で育ち、小さなコミュニティしか知らなかった。
そんな環境でずっと暮らすというコンフォートゾーンを破り、海外へ行くことで視野が広がると思ったんです。でも当時、私の人生の選択肢に留学があるなんて思ってもいなかった。そんな時、一歩踏み出す後押しとなってくれたのは母でした。なので、母には心の底から感謝しています。 留学先では、誰も私がコンプレックスの塊だなんて知らないので、なりたい自分になれると思いました。なりたい自分になるために、ゼロから自分をプロデュースしましたね。そうすると、それまで躊躇していたようなことでも果敢に行動に移すというようなことがだんだんと習慣化されて、気づいたらなりたい自分になれていたんです。例えば、常に笑顔でいること、そんな些細なことから、自分自身が少しずつ変わっていった。
またポストイットに理想像や自分への励ましの言葉を書き、ホームステイ先の家中に張り(笑)、自分を奮い立たせていました。そして、弱い自分も強い自分も、ありのままでいいんだと思うことで肩の荷が降りたんです。だからこそ自信がついて、英語も必死で勉強して身につけたし。人生のターニングポイントとなった高校留学で得たものは本当に大きいです。
大学1、2年の頃は、積極的に学内のサークル活動に参加していて、50名程の女性を取りまとめる代表として、300人規模のイベント運営をしていたこともありました。でも学内の小さなコミュニティで満足していてはいけないと感じ、もっと外の世界に目を向けようと、群馬の大学に通いながら、都内に頻繁に出てきて、セミナーや勉強会に積極的に参加していきました。そこで起業家という職業の多くの魅力的な方々に出会い、私もこのような人でありたいと思ったのがきっかけでした。
3年時には、ビジネスの世界を間近で感じたいと思い、ETICを通してスタートアップ期のIT ベンチャー、「株式会社みんなのウェディング」でインターンを半年間しました。でもそこで働いてみて、様々な体験をする内に、「自分は何もできないんだ」と痛感しました。この悔しさを胸に、1からビジネスの勉強をしたいと思い、アメリカの大学への留学を決意したのです。
英語力には自信があったのですが、実際ビジネスの分野での知識が足りないことを痛感しました。授業中発言もできない、グループワークでも意見を聞いてもらえず、しまいには手を挙げても当てられないといった状態が続きました。本当に悔しかった。でもこのままじゃダメだという衝動に掻き立てられ、図書館で毎日深夜まで勉強をしていました。1年間のうち最初の半年は全く成果が出ず本当に辛かったです。
しかしコツコツ努力をした結果、この積み上げが花を咲かせたんです。授業に対する真摯な態度が評価され、教授からイベント運営を手伝ってほしいと声をかけていただいたり、起業サークルのVice Presidentに推薦されたり…その結果、年度末に行われた学部の表彰式でリーダーシップ賞を頂きました。それはまさに、「努力の成果が報われた」と感じた瞬間でした。今でも覚えてますよ、私が表彰式で 自分が置かれている状況に身震いしていたこと。頑張っている人の姿は、必ずどこかで見られているんですね。