「社会貢献」をする人を、支える企業であり続ける。
株式会社パブリックオンサイン / 櫻又卓
1978年11月生まれ、32歳。
2001年より2010年まで約10年間に渡って広告業界に勤務。企業プロモーション戦略の企画立案やプロジェクトマネジメントを行う。プロモーションに関わる、紙媒体、WEBサイト構築、CM/PVなどのプランニング・マネンジメントで映像制作など通算300件以上の案件に携わる。社内では2006年より企画制作部責任者。以後2010年8月退社まで任務。 幼少期は父の仕事の関係で転勤を繰り返し、転校はもちろん、転勤ごとに新しいスポーツチームに加わる。
東京在住の頃にボーイスカウトで、ボランティア活動や募金活動に参加。
気づけば成人になるまでに7ヵ所の都府県で暮らす中、それらの経験で学んだものは、新しいことに飛び込む行動力と新しい環境に馴染む柔軟性。
各ステージにおいて様々な人と出会う中、人に喜ばれることから得られる満足感、人に喜んでもらうことは自分が一番嬉しいことを感じ始め、そのような「人に喜ばれ、人を喜ばせること」のきっかけになれる場となるサービスを実現するべく、2011年3月1日、株式会社パブリックオンサインを設立。
3つ主にあります。一つは、チャリティーサイト“ハートスタイル”の運営を行っています。これが、自社の運営するWEBサイトのモデルになっていて、旗印として存在しています。2つ目は、広告宣伝の事業です。これはデザイン業になるのですが、私が前職で10年間、広告の制作をしていましたで、その経験を活かしてやらせて頂いています。3つ目は、企業のCSRの支援事業を行っています。NPOなどの社会的企業、個人向けに行っています。
社会性社会貢献というのがパブリックオンサインが掲げているテーマです。
起業というひとつの目標があり、社会にとって何が必要なのか、自分自身が役に立てる使命は何なのか、考えていました。世界中では環境問題や貧困問題、紛争、国内では、少子高齢化社会、地方の衰退、ひきこもりやうつ、自殺問題など、社会が抱える問題が多くあります。アジアの貧困国に行った時は日本では知らない「貧困や人権」の問題に絞り、貧しい村の学校やNPOを視察しました。その経験の中で、先人の人々のお陰で今の自分たちが存在していること、そして次世代に対して私たちは何をするべきなのかという想いが芽生えました。今の子どもたちが大人になったとき、本当に喜ぶだろうか、疑問に感じている部分があります。もっと暮らしやすく、持続可能な社会を目指していくことが必要だと感じたんです この想いのもと、様々な経験を通して、「社会貢献」をテーマに事業を行っていくことを決断しました。
やはり「3.11」ですね。よく、「震災後につくられた会社ですか?」とき聞かれるのですが、震災前に会社は既につくっていたんです。以前から海外の貧困問題をなんとかしたいという想いの元、寄付の仕組みをつくっていました。 震災後、現地に訪れた時にあることを感じたんです。それは、「地方の大切さ」と、「日本人らしさ」です。これらは本当に素晴らしいものだなと感じました。そして、この部分に、できる限りの時間を投資したいと思い、日本での復興支援を始めました。ここで私が特に意識をしたいと思った事が、地域おこしは「発展させる」だけでなくて「日本の文化を継承する」ということです。
そもそも、なぜ文化というものができたかと考えた時に、昔は情報が遮断されていたからなんですね。インターネットもなくて、自分たちの世界だけで生きていたんです。だから独自の文化が発展していくんですね。今は、インターネットで世界中が見えます。ここで、私が心配していることがあるんです。世界の都市を見てもらうと分かると思いますが、みんな徐々に似たような町並みになってきているんですね。「文化」が薄れてきているとも言えると思います。これからは、インターネットが発展し、外の情報を知る事っていく中で、「世界の平均化」が起こってくると私は考えています。100年後の世界を、未来の子供たちが旅行した時に、世界が同じような姿になっていると少し寂しいですよね。 僕の町起こしは、「文化を大切にしたい」という想いが深く関係しています。この部分は、今の学生にも感じて欲しいことですね。
まずは外に出て、文化を感じ、旅をして欲しいですね。そこから日本の文化の良さを改めて知り、いかにそれが大切かを知ると思います。文化は本当に大事なんです。絶対になくしてはいけない。