変化を読み取る力を常に持ち続ける
株式会社大川印刷 / 大川哲郎
今回取材させて頂きましたのは、日本で初めて「ソーシャルプリンティングカンパニー」というビジョンを掲げ、印刷を通じた社会貢献をする株式会社大川印刷の大川哲郎さんです。
創業100年を越える老舗印刷会社の6代目社長となり企業内起業を実施しました。
「生半可な気持ちでは100年以上も持続する企業は作れないと思います」と語る大川氏の、これからも必要とされる企業としての経営術をお話しして頂きました。
私は大学に入学した翌年の春に、父親を手術の失敗で亡くしました。
亡くなり方も医療ミスだったので、一時は医師をすごく恨みました。20数年前のお話しですが、今はインターンシップなど会社の経営を学ぶ手段がありますが、以前はそのような取り組みがなされていなかったので、私は勉強に専念しました。法学部だったのですが、「経営学」や「産業経済」など経営や会社の仕事に関係するであろう授業を積極的に履修していました。
父親が亡くなってしまったので、専業主婦である母親がいきなり社長になりました。 私は大学にそのまま通っていて良いのか大変迷いました。その迷いに母親は「大学はちゃんと卒業しなさい」と言ってくれましたので、そのまま通わせてもらいました。しかし、卒業したらすぐに大川印刷に入るのではなく、父親が以前から、仲良くさせていただいていた錦明印刷の塚田社長の下で3年間修業させてもらいました。塚田社長は業界団体のトップをされていた方だったのですが、「3年間預かりましょう」と言ってくれたのです。 その時、本当に周りに支えられているな、と実感しましたね。
3年間という短い期間の中で、全ての作業を教えていただきました。最初は印刷の工程を学ぶ為に、埼玉県にある工場に行きました。様々な工程を一週間ずつ習得していく生活をし、そこで現場の仕事を学んだのですが、それこそ「3K」と呼ばれる作業でした。
辛かった作業はたくさんありましたがその中で一番辛かったのは、大型の輪転機という印刷機があるのですが、一度に何万部と刷りますから高速で動いています。刷っているそばからドライヤーと言う部分で熱を出し、強制的に乾燥させていきます。
ある夏の日に、部屋の温度が42、3度ある中、インクが溢れてしまいました。その床に溢れ出たインクを洗い油と呼ばれるものでずっと拭かなければなりませんでした。作業をしていくうちに視界が悪くなってきたんです。気付いたらメガネの内側に汗が乾いて塩が溜まっていたんです。我ながらびっくりしました。 その後、配送、納品の手配などの仕事を経て、営業職に長く在籍していました。
前職の社長に「これからの業界の在るべき姿をちゃんと勉強しなさい」とお言葉をいただきました。やはり当時も今も印刷業界は、情報産業の中核としてあります。そして時代の変化によって技術も変わってきますし、社会も変わってきます。
ですから、「変化を読み取る力を常に持ち続ける」そのような考え方を学ばせていただきました。