どんどん変わっていきたい
株式会社ラーニングデザインセンター / 清宮 普美代
どちらかと言うと内向的な、普通の文学少女でしたね。心理学を専攻していましたので実験が多くて、実験で一日が終わってしまったり、サークルの活動や家庭教師のアルバイトなんかに没頭していました。4年になってから就職について考え始めて、PRや商品開発に対する興味が何となくあったので、宣伝会議というコピーライター養成講座に通ったりしました。特に起業したいという気持ちがあったり、準備をしたりということはなかったです。
大学に行ってすごく思ったことは、大学で教えられる学問と言うのは、一つの物を考える基準なのだということです。私の場合は心理学を専攻していましたから、心理学を軸として色々な物事をとらえますよね。そういう軸を手に入れようとして頑張ったことは意味があったと思っています。
英語!大嫌いだったんですよ。それで英語から逃げていたんですけど、やっておけばよかったなと思います(笑)
そうですね。当時も、女子大生就職氷河期といわれていましたが、最終的に就職はできました。(笑)ただ当時は就職活動の意味がよくわかってなかったんですね。自分が何をやりたいのかということと、会社の業務内容がリンクしないまま就職活動を進めていたんです。一応私は、マスコミ・広告代理店志望だったんですが、そういう所は女性をほとんど採らない時代だったんです。しかもコネが無いと受けさせてもらえない。そんな状況の中でマスコミを「なんとなくの」目標として設定している自分がおかしかったし、せっかく業界10位ぐらいのところに受かったのに「なんか違うな」と思って蹴ってしまったり、もうハチャメチャだったんですよ(笑)ただただ、今となって就職活動というものがわかっていなかったなと思います。 結果として入社したベンチャー企業には15年勤めました。自分にとても合っていたんですね。新規事業開発や、情報誌の編集、企画調査。子供が小さいときは部門経理、、辞める直前は事業戦略部門の部長をやっていました。