お金が出せない事こそ、価値がある
RCF / 藤沢烈
井筒俊彦先生という言語・宗教哲学者です。彼は言語の天才で、20〜30カ国語を理解できたと言われています。しかも、アラビア、サンスクリット、ラテン語など古代から続く言語を全て学んでいました。その力を使って、世の中のありとあらゆる聖典を原著で読まれていたという凄まじい天才でした。井筒先生が書いた『意識と本質』という本に、大変な影響を受けました。
井筒先生は「共時的構造化の試み」という呼び方で、世界中の宗教・思想に共通性があると分析していました。その点から、私は宗教や民族的に中立の立場にある日本が、アメリカとは違った形で世界をむすぶ可能性があると考えるようになりました。
中国は自らの事しか見えていないし、アメリカはこれから益々内にこもる中で、世界はバラバラへと進みます。これまではアメリカが権力を持って世界に介入しましたが、これからは日本人が裏側に回り人々を繋げる役割を持つと思うのです。
どんな民族にも宗教は必ずあり、その民族の精神性をつくっていることを学びました。アメリカはキリスト教と切り離せないし、アラブはイスラム教と切り離せない。物事を意志決定する時や、民族としての態度を決めるときに、宗教や思想が根っこにあります。
根の本質を横断的にとらえようとしたのが井筒さんです。本質的にその違いは何なのか、禅が日本の精神においていかなる影響を与えてきたか。人の意識の、そのさらに奥側の中のエッセンシャルがいかに構成されているのかというのを読み解いたのが『意識と本質』です。河合隼雄さんの座右の書でもありました。
この半年間、毎月1回海外に行くという事を自分に課し、7カ国30都市を回ってきましたが、日本は世界中から素晴らしいと思われています。日本人は日本の事を過小評価していて、インド人や中国人と話していると「日本の教育はすばらしい。世界一だ」と言う。例えば震災が起きたときに、日本人は暴動を一切起こさずに配給を受け取るため整列するわけです。そんな事は中国とかインドでは絶対にあり得ない。周りは全員敵、家族だけが味方という世界観なのです。日本のように、社会全体が公共性を担保できる国はなかなか無い。そうした事を教育できているのが素晴らしいという話をされるのです。
一輪挿しの花を見せると、日本人は感動します。他国の方は全く関心を示さず、大輪のバラを見せてはじめて「凄い」と感じる。僕らからすると、ちょっと何か味気ないという話になるじゃないですか。そうした感性は日本人以外に皆無です。そんな縄文時代から1万年以上培ってきた精神性が日本人にはあるようです。
また日本人は伝統的に危機感を持ちやすい国民です。勢いが失われてくると頭を垂れてもう1回頑張ろうと考える。周りの国から見たら驚異的です。「これほど豊かになったのに、どこまで向上心があるんだ」とね。それが日本の良さです。たがらこそ滅びずに来た。日本人は謙虚さを持って、技術を提供したり、橋渡したる役割を担う事ができると思うのです。
日本の若者はグローバルな社会性をOSとしても持っています。「社会性」と「個」という一見矛盾する2つを併せ持ったハイブリッドな存在として、これからの世界で活躍すると考えます。
起業を目指している人には、「目指さないでください」と言っています(笑)。その前に、「今あなたができる事は何ですか」「今、期待されている事は何ですか」を問うようにしています。今できる事を精一杯やった延長線にしか「起業」は有り得ません。今、自分が目の前にある事、つき合っている人の縁をよく見て、その中で自分の役割を見つけて下さい。目の前の見えているものを全部放っておいて、自分が変わらなきゃと、頭で考える人が多いのですが、目の前の事を精一杯やって行くプロセスの果てに、結果的に起業があります。
様々な起業家を見てきましたが、成功している起業家の唯一の共通項は「続けている」ことです。目の前の事を一心不乱に続ける中で、結果的に自分に共感する人が現れ、仲閒ができ、会社ができます。だから、もし「起業がしたい」と思っているなら、その為にも目の前の今の自分の役割を意識して動いてほしいと思うのです。