こころ豊かな人生
株式会社オルトプラス / 石井 武
「その一瞬にしか体験できないものには、皆さんが足を運び、その瞬間にお金を払うのです」
そう語るのは株式会社オルトプラスの石井さんです。
オルトプラスが制作した携帯ゲームは大人気となっています。
そんな石井さんはどのような思いでゲームを作っているのでしょうか・・・。
高校は入学してから3年間、大学受験を見据えて普通に勉強していました。なにせ今よりも受験生が多く倍率も高い時代でしたから浪人しないように勉強をしていましたね。
小学校の頃に卓球、中学で軟式テニスをやっていたので近いスポーツで、よりアクティブなスポーツがいいなと思い、高校では硬式テニス部に入りました。文武両道と言われていましたが、楽さ加減からテニスを選んだというのはありますね。
国語、文学ですね。図書館で本を読むことが好きで、だいたい昼休みには図書館にいましたね。数多くの本を読むというよりも、本を読むことでゆったりとした時間を過ごすことが好きでした。
ジャンルはSFや空想といったものよりも歴史など、ノンフィクションもののほうが好きでしたね。
社会に興味があり、社会の中心である会社(経営)について知りたかったことが大きいですね。田舎の高校生ですから、きっと経済大学に行けば経済を教えてくれて経営学部に行けば経営のことを教えてもらえるのだろうというレベルの感覚でした。
マクロ経済や統計を勉強するよりも、会社という単位で、もう少し人間臭いことが学べるほうがいいなと考え経営学部を選びました。
そうですね。田舎を出たいという一心でした。地元の大学も受験しましたが、自宅から通えるところには行きたくないという気持ちがありましたね。
いざ受験勉強が終わるとまったく勉強をしなくなる典型的な大学生でした。でも結果としては自由な時間を過ごし、社会勉強というか東京見物ができました。
中学、高校時代はなかなか金銭的自由を作ることが難しいと思いますので、大学の4年間は色んな意味で好きなことができたと思います。
社会にでてからは、その自由な時間で経験したことが様々な場面で役立ちました。
はい。やっぱり身近な経済や経営に中学生の頃から興味がありました。私の出身地であ栃木県足利市は織物の繊維産業が栄えた町なんです。絹糸をとっていた地場産業をもとに、軽工業が盛んになり、それが輸入品に押されるようになると、繊維産業自体が競争力を失う。すると街自体が衰退していきます。
その後、足利市は自動車や家電メーカーの部品工場などが栄えるんです。そして近所にいっぱい大手メーカーの協力工場ができます。しかし工場が海外へ移転するとまた街全体が不景気になっていく。 私が産まれてから3〜4回産業構造が変わり、その中で景気が上がったり下がったりしていました。
中高生時代は小さなコミュニティや地域社会が世界や国から受ける影響を抜け出して自助努力でカバーすることの難しさを感じていましたね。
仕事を始めて何日か経ってから、「遊んでいていいよな」と言われた事は今でも忘れません。工場の方達は暑い中働いているわけですが、私はクーラーがきいた部屋でデザインをしていたんです。どうやら、楽な仕事をしていると思われたのですね。パソコンが熱でダウンしない為に冷房を効かせていたのですが、中々理解してもらえませんでした。製品のデザインには、作業員との交渉が必要不可欠なのですが、よく無視され、不遇な時代を過ごしましたね。ただ、昔からの免疫があったので、冷静に対処していました。
経営学を通して様々な仮説を勉強してきたので、その結果を反映しないと勉強した意味がないと考えました。そのためにはコンサルティングファームに入り経営コンサルをすることになるのが一般的ですが、経営コンサルタントにあまり魅力を感じませんでした。
それよりもベンチャーキャピタリストになって投資し、育成し、上場させるという仕事にやりがいを感じました。結局、ベンチャーキャピタルで9年間働き、いくつかの企業を上場させることになりましたが、とにかく遮二無二働きました。 そこで痛感したのは、社会に出ると実践ですし、お金を頂き、プロとしてやっているので「教えてください」という言葉はあり得ません。 知っていて当然、できていて当然なのです。
この時になって大学時代にもっと勉強しておけばよかったと悔やむことばかりでしたね。なので、社会人になってからは遅まきながら学生時代以上に勉強しました。
VC時代は比較的ITやデジタルコンテンツを扱う会社に投資していました。産業が若く、自分の感覚がユーザーの感覚に近くて自分のアドバイスが受け入れやすい産業だったからです。
しかし、いくら自分たちの会社の資金を投資して会社を応援しているとはいえ、そこの会社の社員ではないですし、実際に入って手伝いたいという気持ちが出てきました。そこで、自らがベンチャー企業の中に入り、働くことに挑戦しようと思い、31歳の時にゲームソフトの制作会社に入りました。
そこで感じたことは、外からアドバイスをするのと、アドバイスをされて実践することは根本的に違うということです。VC時代は、自分では実践的と思っていても机上の空論に近いアドバイスをしてしまいがちでしたし、現場に入ると原理原則を曲げやすい状況になります。そういう意味で成長過程にある未熟なベンチャー企業で働く日常を学びました。