いつでも狩りが出来るか
株式会社アッション 木下 洋平
学生時代は発展途上国でのNGO活動を含めて約30カ国を放浪。
2002年 伊藤忠商事株式会社入社 エネルギー貿易に従事。
2004年4月 株式会社モバイルファクトリー入社
2005年6月 株式会社モバイルファクトリー取締役就任
2008年12月 株式会社モバイルファクトリー任期満了に伴い退社
2009年2月 株式会社アッション設立 代表取締役就任
大学二年生までは「いわゆる大学生」でした。飲み会、麻雀、友人の家で語り明かすということなんかをやっていました。サークルもスキー、インカレとか面白いと思ったことを色々やっていたという感じですね。サークルでも「リーダー」とか、「みんなを引っ張る」ということはなく、ただ楽しいことをしてるだけでした。
三年生になって就職活動を始めました。しかし終えた時に、「結果に納得出来ていない自分」がいました。そこで次の日に、自分に何が足りないのか考えました。
その時に、21年間あまり不自由せずに生きてきたことに気付き、「日本という小さい世界でしか生きていないままでは、面白くない人間になってしまう」と思いました。そこで「電気もガスも水道もない日本とは正反対の生活をしてみよう」と、日本から出ることを決めました。
インドです。アフリカか、もしくはインドの一番貧しいところに行くことは決めていました。ただアフリカに行くためにはたくさん注射を打たなければならないんです。僕は、行く決意をした次の日に出発すると決めていたので、インドにしました。 ただ当時の日本の検索エンジンは発達していませんでしたので、情報が少なかった。そこで「most cheapest and longest way to stay in India(インドに長期滞在する最も安価な方法)」と調べて、いくつか出てきたNGOの中で、「月100ドル払えば、食べ物と寝床は保障する」というところがありましたので、それに決め、次の日に出発。二日後にはインドにいました。
誰に言うにしても「僕の人生は後づけ」なんです。決める前に誰かに相談すると揺らぐことがあるでしょう。「決断」とは「自分で決めて自分で断つこと」ですから、誰かに依存することなく、自分が全ての責任を負わなければならないと思っているんです。
活動に関して、極端にわかりやすく言えば「気温45度の中、肉体労働をする」ですね。井戸掘ったり、橋を組み立てたり。喉が渇いたら泥水のような茶色の水を飲むしかありませんでしたから、最初の一ヶ月はずっと下痢していました。
そんな生活の中で、「本当に貧しい」ということを実感しました。駅に行くと痩せ細ったお母さんと子供が物乞いをしているんです。次の日、お母さんにござがかけられて、ハエがたかっている。亡くなっているんです。その状態が何日も放置されている。それが日常的に起こっています。 「少しでも富をもたらすことが出来ないか。」みんな同じ気持ちを抱くと思います。インドの他にも発展途上国を約30カ国まわりましたが、この時の経験は今の僕に大きく影響を与えています。
そうですね。特に印象に残っていることが、海外の友人に「日本人は真似するのはうまいけれども、オリジナルのビジネスを創り出したことはない。」と言われ、言い返すことが出来なかったことです。その時から、自分で起業して日本を代表するようなビジネスをつくりたいと思い、起業を意識し始めました。
オフィス内の様子1