昨日より今日、今日より明日
ライフスタイルアクセント株式会社 代表取締役社長 / 山田敏夫
1982年10月20日生まれ・熊本県出身。1917年創業の老舗婦人服店の息子として、日本製の上質で豊かな色合いのメイドインジャパン製品に囲まれて育つ。大学在学中、フランスへ留学しグッチ・パリ店で勤務。一流のものづくり、商品へのこだわり・プロ意識を学ぶ。卒業後4年間、ソフトバンク系ベンチャー企業にてネットビジネスを学び、東京ガールズコレクションの公式通販サイトを運営する「fashionwalker.com」へ入社。社長直轄の事業開発部にて、最先端のファッションビジネスを経験。その後、本質的にアパレル業界を変えるべく独立。2012年1月、ジャパンブランドの直販サービスを展開するライフスタイルアクセント株式会社を設立。
【ライフスタイルアクセント株式会社 ホームページ】http://www.lifestyleaccent.co.jp/
【日本初のファクトリー専門ブランド Factelier(ファクトリエ) 】http://factelier.com/
僕は、特に意識の高い学生ではありませんでした。学校に入ってから物凄く暇だったので、塾講のバイトや伊勢丹でアパレルのバイトをしたり、簿記の資格をとったりしました。その後、新たな目標としてフランスに留学をしようと考え、フランス語の勉強を始めました。フランス留学後、5年生になった時はバックパッカーで半年くらい世界を回りましたが、それは将来、周りの人に色々な経験談をできたらいいな、と思うくらいのちょっとした気持ちで行きましたね。
こんな風に、バイトをしながら「何かしら将来に役立ちそうなことをちょこっとやっておこう」、という気持ちで生活していました。なので、将来の夢があって、それに向かって努力してきたというよりは、今できること、やれることに「ちょこっとだけ」加えた感じですね。良い意味で「自己投資」、悪い意味では「暇つぶし」ですね(笑)
もちろんファッションを勉強できるからというのもありましたが、それよりも「人と同じことが嫌だったから」というのが大きな理由です。僕には兄貴がいるのですが、彼はとても完璧な人間なのに対して、僕は頭が悪くて鈍臭い弟でした。小学生の時に塾に入ろうと思ったら、バカすぎて塾から断られるくらいです(笑)その時から、「兄貴と違う自分」というのを意識しだして、「自分は兄貴や他の人間とは違う人間になろう」という風に考えるようになったんです。留学先を決めるにしても、アメリカに行く人なんてごまんといるし、田舎の大学だったらつまらない。それだったらもっと都会で勉強ができて、周りがあまり行っていないところに行こうと思い、フランスに留学しました。
フランスでは、着いた初日にパリ市内に行く道すがらスリに合って、いきなり一文無しになってしまったんです。当時19歳だった僕は、「外国ってやべえな!」と思いましたね(笑)あまりにショックすぎて、もうそのまま逆の方面の電車に乗って帰国しようかと思ったくらいです。でも、1年間行くはずだったのにすぐに帰国して、家族や友人に「もう帰ってきたの?」と言われるのは絶対に嫌でした。それで、大学の職員の親戚の家にしばらく住まわせてもらうことになり、なんとかフランスで生活をすることができたんです。そこでは、フランスの家庭料理を知ったり、日常会話を教えてもらったりして…そういう意味では、「学ぶ」というよりは、「生きる」こと自体を根本から始めたという感じでしたね。
僕は実家が服屋だったこともあり、アパレルについては詳しかったのですが、アパレル業界は決まったことだけをやる会社が多い印象がありました。また、当時は業界自体が衰退していたこともあり、他の業界で働くことを考えていました。就活の時には、内定直結型のイベントで三菱商事やソニー、リクルートなど、多くの大企業から内定をもらうことができたのですが、その後、内定者の飲み会に集まる同期たちを見た時、僕はそこで働くことに抵抗を感じました。エリートサラリーマンとして仕事をして、エスカレーター式に40代、50代まで働いて…となった時に、その場所から一生抜け出せなくなりそうで、怖かったんです。「サラリーマンとして甘んじて生きるのは嫌だ」と思いましたね。
また、僕は業界に関わらず、どこに行っても活躍できるような「できる人」になりたかったんです。そういった「できる人」になるには何が必要かを考えた時に、営業力やマネジメント力、ロジカルシンキング力など色々な要素があると思いました。その中でも僕は営業力を学びたいと考え、「営業力」×「ベンチャー」×「そこで働いている人」という視点で選んだのが、ソフトバンクが作ったばかりの「ヒューマンキャピタル」という会社でした。