夢ではなく希望
株式会社渋谷都市開発 / 渋谷 好幸
尊敬する松下幸之助さんの「道をひらく」という言葉が座右の銘の株式会社渋谷都市開発の渋谷好幸社長。
9年間勤めた会社を辞め、30代での転職、そしてさらに、起業と座右の銘を中心に据えた人生を歩む渋谷さんに、学生時代のこと、今後のことを伺いました。
私、実は大卒ではなくて、専攻科がある高校に行っていたんですね。 その高校時代に一つ志していたもの、心に持っていて「これはやらなくちゃいけないな」と思っていたことは、うちは自営業で食堂をやっていたんですけれど も、私の父がちょうど高校に入学した時に倒れましたので「この3年間は勉強と食堂を手伝う」ということをやらなきゃいけないなと。もうそれに明け暮れた3 年間でしたね。専攻が調理科だったので、当初は食堂を継ぐためにということで卒業とともに調理師免許も取得したんですが、だんだんと「いずれは自分もお店 を持つんだ」という芽生えがありましたね。 そういう学生生活だったので、例えばアルバイトをしてお金を儲けたい!彼女を作りたい!ということはあまりなかったですね(笑)部活も時間的にできなかっ たです。学校終わってすぐ4時に家に戻ってきて、1時間宿題・勉強をやってそこから店の手伝いをして、そうすると9時位なので、また勉強の時間に充ててい ましたね。お店が休みの月曜日だけ唯一、自分の時間が出来ました。
いや、逆にそういう私の姿を見て友達が集まってきたというか。「お前、すげえことやってんなあ」って(笑)辛いとはあまり感じませんでしたね。なぜかとい うとそこでやらなかったら食べていけないんだということを実感できたので。私は長男でしたし、弟は五つ下で小学生だったのでまだ働けませんでしたからね。 弁論大会で家のことを述べて一位になったので、それが高校時代最大の自慢ですかねえ(笑)
やはり、実家の食堂を手伝う中でどこからお金が入ってきて、どこへ出ていくのかということと、社会の中での人間同士の関わり合いがわかりました。
皆のように部活動など行って楽しさや、辛さを共有する学生時代を過ごしたかった。 また、どうしても家業の話に戻ってしまうのですが、家の食堂は人を雇っていなかったので、やっぱり人に関することですかね。私の尊敬する人である松下幸之 助さんの言葉を借りると「企業は人なり」なんです。コンピューターは自分がやったとおりに形になるけれども、人はそうじゃない。けれど、思った以上の事に なる可能性があるのも対人の魅力ですよね。2人以上だと私はもう「企業」だと捉えているんです。なのでやはり「企業は人なり」。1人でも2人でも自分が手 を取り合うしかない、そのことを社員に教えていくという事は、長く付き合わないといけないテーマだと思います。高校時代の食堂のお客さんより、今は間口が 広がっているわけですから。