人望とは、人を幸せにできる数
株式会社うちナビ 代表取締役 / 角南 圭
父の転勤の関係から、私はインドネシアのジャカルタで3歳まで過ごしました。その後、東京を経て、福岡に移り住んだのですが、小学2年生のころに校庭でキャッチボールをしていたときに野球クラブの監督から声を掛けられました。
その時が、私の人生において欠かすことのできない野球というスポーツとの最初の出会いでした。
勝手に素直になれたことですね。野球というスポーツは、上下関係が厳しく、矛盾や理不尽だと思えることでも、先輩が言うことには「はい」と答えて言われる通りに取り組みました。そのことを通じて、人の話を聞いて素直に行動することが身に付きました。 今の世の中、なかなか素直になることは難しいですが、スポーツに出会うことで身に付きましたね。
弊社も毎年新卒で人を雇っていますが、新人の従業員には素直さがとても大切だということを伝えています。自分の意見を持つということも、とても大切なことですが、人の話を聞かないという悪い方向に向かっているように感じるのです。
私は、社会に入って間もないうちは、考え方を作り出す期間だと思っています。なので、その人の意見が正しいかどうかは別として、まだ必要ないと思うんです。私はそれを野球を通して学んだと思っています。
また、体育会系で、矛盾や理不尽を経験することで、社会における矛盾や理不尽に対しても免疫を身に付けることができたと考えています。今の人たちは矛盾や 理不尽に直面した時に反発し、立ち止まってしまうことが多いように感じます。それはあまり良くないことだと思うんですよね。私は野球から、走り続けること も学びました。
もう1つ大きなことは、みんなで1つの目標に向かっていく経験です。1つの目標をみんなで達成した時の喜びの大きさを味わうこともできました。
私は、早稲田大学高等学院という付属高校に通っていましたので、エスカレーターで早稲田大学へ進学をすることにしました。 学部については、授業の成績と野球の成績が共に良かったので、全ての学部から選ぶことができました。
その中で一番良い学部を選ぼうと考えて政治経済学部を選択しました。なので、当時は特に政治経済を学びたいと考えていたわけではなく、大学での野球のことを考えていました。
これまで野球ばかりの人生を歩んできたので、野球のない人生は当然今までと全く違うものでした。やはり心に大きな穴があいて、野球以外で燃えるものが見つからず、模索中の時期に入りました。
その中で、寄り道というか、周りの反対を受けながらもカラオケパブのような場所で働くことがありました。夜の世界で色々な人と触れ合う中で、色々な幸せが あるのだと学びました。今までは野球という1つのものを通して幸せになるしかないと思っていた私にはとても新鮮な学びでした。
そこから、人それぞれの幸せについて考え、サービスを提供すること、柔軟なコミュニケーションも学びました。そういった意味で、寄り道の三年間がなければ、人を幸せにすることも出来なかったと思います。
大学5年生の時にカラオケパブで知り合った先輩と、コンサルティング会社のようなものを作りました。そして、中小企業を中心にコンサルティングをしていました。