日本に生まれた以上の義務と責任を果たす
TMコミュニケーションサービス株式会社 / 三井恒雄
今回取材をさせて頂いたのは、TMコミュニケーションサービス株式会社の三井恒雄社長。TMCS設立後、「ビジネスコンシェルジュ」という新しい業界を開拓した方でもあります。
『お客様が私たちに求めるサービスを提供するために規模が大きい必要があればそれを目指しますが、規模の拡大を前提にお客様にサービスを提供するのは本末転倒。』と語られるように、お客様に喜んで頂く事に仕事の最大の価値を見出されています。
今回はそんな三井様のルーツを探らせて頂きました!
学生時代は当時ベンチャーの旗手の外食企業でアルバイトをしていて、当時はまだ珍しかったアジアンフード系の大型ダイニングの立ち上げにも携わらせて頂きました。そのときにそこの社長やビジネスマンと触れ合い、当時は珍しかったアジアンフードを広める等の新たなスタンダードを生み出す事に面白さを発見しました。その経験が起業への影響を強めたと思いますね。
卒業後は衛星放送会社でコールセンターの運営に携わったんですが、そこで広告の認知度と影響力の大きさに魅かれ始め広告代理店に転職しました。広告代理店に転職したのは、いろんな業界の売れる仕組みやビジネスモデルを間近で触れることができるからです。様々な業界や様々な商材の収益モデル構築に携わったことが、現在の弊社のビジネスの根幹になっていると思います。 また、当時は同世代のベンチャー経営者の方々が世の中から注目されはじめ、みなさんが活躍されていました。彼らの大半は大学卒業してすぐに起業したり、数年の社会人経験で起業した後に活躍されたりしてました。彼らの活躍に、刺激を受けながら社会人としての基礎をきっちりと身に付けた上でいつか彼らとも勝負できるようになりたいと思いながら、日々黙々とサラリーマンとして仕事をしていたある日、過労で意識を失って入院してしまったのです。過労死寸前でした。それまで順調にいっていたサラリーマン生活が一気に崩れてしまい、病院のベットの上で色々悩みました。
そんな時に、逆に起業する最適なタイミングじゃないかと思ったんです。「谷深ければ、山高し」じゃないですけど、できるだけ早いタイミングで普通でも難しいことをやれば、ピンチも単なるピンチじゃなくて、大きなサプライズへとレバレッジを利かせることができるのではないかと。それが、起業しようと真剣に思ったきっかけです。そして、過労で入院して半年後に、独立起業しました。ただその2,3年前からいつでも起業できるように起業セミナーやショートスクールに通う等して頭の中で準備はしていました。
大きい会社の中で働いていると、自分の希望が経営の方針と合わなくなる等不自由な事が多いんですよ。「もっと自由に仕事がしたい」「もっとストレートにお客様の要望に応えたい」という希望があっても、それは「経営者が考える広告代理店のサービス」という枠から外れてしまうと、どんなにお客様のためになると思っても叶いません。そんな枠という「限界」を自分達で設定せずにお客様の要望に応えていく為にはやはり「起業」だと思ったんです。「もっとお客様の要望に素直に応えたい」という気持ちが起業に繋がったんだと思いますね。
そうですかね?でも私は起業家には2つのタイプがあると思うんです。
1つは職人さんのように独自の世界観で作った商品を世の中に投げかけるタイプです。そしてもう1つは逆にお客様が求めるがままに商品を提供するタイプです。私はもちろん後者ですね。「(自社の都合で)売らなければいけないもの」は存在せず、お客様が求めるものを求める形で提供して役に立つというのが私達の仕事です。自分たちの都合でお客様に売るのではなく、お客様の都合に応えるために最適な自分たちになる。そこに「限界」や「枠」を設ける必要はないと思ったので必然的に起業に至りました。
不安やリスクよりも「自由に仕事が出来る!可能性が広がる!」という楽しみの方が大きかったですね。それに世の中の様々なスペシャリストと一緒にビジネスが出来るというワクワク感もありました。会社では部署や部門ごとに仕事が制限されてしまいますが、これからはお客様のニーズに合わせて柔軟に人を選べるというメリットもあると考えていました。だから会社勤めをしていたときに感じていた「枠」のストレスがなくなると考えると楽な気持ちになれましたね。
大きい会社の場合で、例えば食品に長じているコピーライターがいたとします。でもお客様から不動産のコピーを考えて欲しいと言われたときに、社内都合でそのコピーライターに仕事を振るのはこちらの都合を押し付けている事になりますよね。そして1番不幸なのは不動産に長じているライターにコピーを書いて頂けなかったお客様です。そういった問題を解消する為には自分達でルールを作る必要がある、その為の起業だったと思います。