日本の教育に、イノベ-ションを起こす
株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ / 平石郁生
「法律」が変わったことが「きっかけ」でした。 今は「会社法」という法律がありますが、当時は「商法」というものでした。 1991年4月1日。「商法」から「会社法」に変わり、株式会社の最低資本金が40万から1,000万、有限会社は5万から300万に上がるという大きな転換期でした。その年の3月31日までに会社の登記が完了すれば、それから5年以内に改定された資本金にすればよいということで、駆け込みで会社を作る人たちがたくさんいました。
その時、私の元上司が会社を作ることになり、その手続きを手伝わされたのが、そもそも、僕が起業するきっかけでした。必要書類を用意し、弁護士の方のところに持っていったりしているうちに、「なるほど、会社というのは、こうやって作るのか?ということは、オレでも作れるってことか?」と思い、僕も「駆け込み」で会社を登記したのが、僕の起業の原点です。 ドラッカーを読まれたことがある方はご存知だと思いますが、ドラッカーは「起業家は自らは変化を起こさないかもしれないが、『変化』をイノベーションの機会として捉え、変化を利用する」と言っていますが、敢えて、カッコよく言えば、そういうことだったのだと思います。
このような時もありました。 会社は今も存続していますが、ドリームビジョンという会社で行なっていた事業を整理し、晴耕雨読ならぬ「晴『読』雨読」生活を、一年ちょっとの間、していたことがあります。 当時の僕は本当に「何もやりたいことが無かった」のです。 いたずらに焦って何かをやってもうまくいかないと感じ、自分の内側から湧き出てくる、本当にやりたいことが見つかるまでは仕事をするのを止めようと決意したのです。 その頃、人に会うと、必ず、2つの質問をされました。 1つ目は「最近、平石さんは何をされているんですか?」という質問です。僕は正直な人間で、それまでの数年間の出来事を包み隠さず話をしていましたが、問題は2つ目の質問でした。 「それで、次は何をするんですか?」。 これは辛い質問でした。 僕に対する期待値の表れであり、ありがたい話ではありましたが、「お願いだから、その質問はしないでくれ!」という心境でした。本当に何もやりたいことが無く、辛い経験でした。
しかし、実はその後の半年から1年間は、後に客員教授を仰せつかることになる法政大学経営大学院(MBA)の小川先生の言葉どおり、僕の人生にとって「最高の充電期間」になりました。 大学院(MBA)に通う社会人学生の方々と議論をする中で、私の経験は「人生のパラダイムシフト」をしたいと思っている人たち参考になるということを実感でき、少しずつ、自信が回復してきました。結果として、大学院での仕事が、またビジネスに打ち込むきっかけになりました。
人それぞれ持って生まれたものは違うわけですから、他人と較べても仕方ないですよね。 例えば、みんながイチローのようなれるわけではないですよね。 でも、自分が持って生まれた「才能」は絶対にあります。絶対に。 その才能を100%出しましょう。無いものねだりをしても仕方ない。 まずは、持って生まれたものに感謝して、この日本に生まれたことに感謝する。 今の自分ができることを全力でやるだけだと思います。 正直、「どうしよう…」と感じることも多々あります。 でも、今できることを一つ一つやっていくしかないですよね。