起業家がドラえもんに学ぶべきこと
キャスタリア株式会社 / 山脇智志
【Twitterアカウント:@waki3】
今回インタビューさせて頂いたのは、キャスタリア株式会社 代表取締役の山脇智志さんです。
最近、話題になっているgoocusやiUniv+などのリリースを経て、急速な成長を遂げております!
著書『「ソーシャルラーニング」入門 ソーシャルメディアがもたらす人と組織の知識革命』も大好評です!
そんな山脇さんの考える「学びのかたち」とは。
the Entrepreneurがお話をお聞きして参りました!
キャスタリアは、ソーシャルラーニング事業を行っています。ソーシャルラーニングというのは、「人とのつながり(社会性)」を利用してより高い学習効果を得ようとする取り組みや、それを支える技術のことを指します。 ソーシャルラーニングには、もちろん新たなつながりを作るという側面もあると思いますが、いまあるつながりを更に意味あるものに「昇華」させ、または「再構築」することが醍醐味だと考えています。
ソーシャルラーニングでは、FacebookやLinkedinといった既存のコミュニケーションレイヤーを使って、もう一段階上のレイヤーに上げていくというプロセスを経た後、その上位レイヤーの中で、また新たなつながりが生まれます。ソーシャルラーニングというと、ただのコミュニケーションのツールと思いがちなのですが、学びという点においてつながる、全く新しいコミュニケーションレイヤーだと言い換えることができるでしょう。そのつながりを作るためのツールを我々は生み出しています。
フォーマルラーニングとインフォーマルラーニングという2つの側面に基づいて、我々はツールを作っています。
1つは、iUniv(iUniv.tv)という動画や音声コンテンツを利用したソーシャルラーニングメディアです。iUnivはどちらかと言うと、フォーマルラーニングの一環として開発されました。フォーマルラーニングにも2つの意味があるのですが、基本的には学校や企業といった場所での既存の教育を意味するものです。この市場へはiUniv+(iUnivplus.tv)というASPサービスを販売しています。
もう一つは、wikipediaを使って言葉を知識に変えていくソーシャルラーニングアプリ「goocus(gooc.us)」があります。
先日リリースしたこのgoocusはインフォーマルな意味合いを強く持っています。例えば、歩いているときや呑みに行っている時、友達と会っているとき、カフェで本を読んでいる時に行われるスタイルや方向性が勉強とは思えないような学びのことです。GoocusにはGPSを使って調べたロケーション情報を学ぶという機能があるのですが、そういった形にとらわれない学びというものをユーザーは体験できます。
それを考える前に、前提として教育もしくは学びにある2つの定義を理解する必要があります。
まず、一つ目に教育とは、突き詰めれば『情報』を意味しているということです。「教育とは『情報』である」。
教育は、つまり全て『情報』に落としていけるという事実です。
例えば、学校に行って授業を受けますよね?
これは要素分解すると、たとえば一つに音声情報があります。先生が話す授業の内容は「音声」というパッケージで私たちに情報として伝えられます。この「音声」の裏側には、その先生の先生から学んできた情報や、読書などを通して先生が得た付加的な情報など、ありとあらゆる『情報」が含まれているわけです。
つまり、普段授業で私達が吸収している情報というのは、先生が喋る音声情報やスライドや黒板に書かれている視覚情報といった具合に、すべて情報に落としていけるのです。
“IT”の”I”はインフォメーションの”I”じゃないですか。
ということは、教育=情報であるのだとすれば、教育がITに乗っからないわけがないんです。つまり、WebやITで教育は100%復元可能であるということが言えます。
もう一つは、「教育とは時間である」ということです。
大学の一コマはなぜ90分もあるか考えたことはありますか?
それはシンプルで、文部科学省が、「一コマ90分」と決めているからです。つまり、授業時間に対して、「単位」が与えられているのです。
具体的には、1授業(90分)×授業数(約15)の総和が半期としては1単位です。授業というのはプレ、授業、ポストという3つに分けることが出来ます。 本来、大学の一コマというのは、予習が90分、授業が90分、復習90分の合計270分が一コマなんです。ただ、270分というのはあまりにも大変なので、予習と復習を行なっているという前提で単位を与えられています。
以上を前提として、今の時代のコミュニケーションであるソーシャルやツールであるモバイルを使った教育や学習を再構築していく中で、一番重要なことが「ユーザーにとって無理のないコミュニケーションをつくること」です。要は無理矢理という意味ではなく、上手く日常の中で取り入れられやすいように、学びというものをどのようにして取り入れてもらうか、ということを我々は日々考案しています。それを我々はソーシャルラーニングと呼んでいるだけです。
というのは、つまり?
それはおそらくコンテクストとコンテンツという2つの問題があると思います。
つまり、「何を」よりも「誰が」のほうが重要な場合があります。
例えば同じ内容の話があったとしても「有名人」がやったことと「無名の人」がやったことでは情報の価値はまったく変わってきます。 そこでの有名、無名とは何かというと、その人の社会的なポジションやアイコンなどの写真がカワイイかどうかとかといったもので構成される。
もう一つは、中身において、いかにして周りの人が飛びつくようなネタを飛びついてもらえるように提供するかをきちんと把握できている人が多くないのだと思いますよ。