マッキントッシュとの出会い
株式会社ドリームワード代表取締役 / 笹川 潔
今回取材させていただいたのは、株式会社ドリームワード代表取締役 笹川潔さんです!笹川さんは自分の趣味を仕事の中にうまく取り入れ、充実した人生を送っている起業家です!
起業した経緯など、是非ご覧ください!!
私は元々某テーマパークでアルバイトをしていたんです。最初にいた部署では私たちアルバイトにも、すごく気を使ってくれている先輩方がたくさんいらっしゃいました。しかし、新しいアトラクションを立ち上げることになり、違う部署に配属が出たんです。そこの部署はそのような先輩がいる環境ではなく、最初のうちは頑張っていたのですが、少しずつその環境が耐えきれなくなっている自分に気づき始めました。結局そこでのアルバイトを辞める決断をしました。自分の契約はあと1ヶ月という中、辞めた後がないと思い派遣の会社に登録をしたんです。派遣会社に紹介頂いた会社に入社することにしました。そこの会社では最終的に直接契約になり、ついこの間まで3年半近く勤めていました。業務としては、システム担当部門で、システム開発の仕事がメインでした。しかし、本当に色々なことをしていました。契約が「総合職」なのにシステムの業務をやっていたので、本来なら「システム開発」とか「プログラミング」として稼げるところでしたが、給与は変わりありませんでした。しかしこのまま、この会社の下で働いていても自分にプラスになる兆しを感じなかったんですね。
だめではないけど、「このままではいけない!」と感じてました。テーマパークに勤めていた頃は、時間はあるけどお金がないからやりたいことが出来なかった。会社に入社すると、今度は金銭的な余裕が出来た。ボイストレーニングなどをしたり、ダンスもやったりして。特にダンスは教えて欲しいという人も出てきて、会社が休みの日にはダンススタジオで教えていたりもしました。そのような経験もあり、自分の趣味を仕事にしていきたいと思いました。平日は会社で仕事、休日はダンスを教えて、という生活だったので、自分の休みがなくなっていたこともあって、ダンスの仕事も内側に入れていきたいと感じたんです。他にもデザインの仕事もしたかったり、様々な事がしたかったんですね。「そんなに自由に色々なことが出来る会社はない、ないなら作ろう!」そう考えて起業に至りました。
3本の軸があります。 システム開発、デザイン、エンターテイメントの3本です。システム開発については、「システムを使う側がそのシステムを作る」というスタンスのシステムの開発をしていました。普通のシステムは、業者が作ったシステムを確認して業者ともう一度話し合い、そして再び直して行くというのが一般的なんです。しかし、使う側としては納品後もまだまだ付け足したくなる機能部分が出てきたりするんですね。そのように、使う側が色々変えて行けるシステムを開発をしていました。当時、会社に勤めていた頃、そのシステムの取引を行っていた方が自分をすごく気にいって下さって、会社を立ち上げるお話をしていたら、「振れる仕事があれば、回すよ」というお話を頂けました。そして、デザインは、ウェブや印刷物もやっております。3つ目の軸のエンターテイメントとは、歌ったり踊ったりすることを教えていたり、イベントを開催したりしております。
高校は千葉の幕張にある高校に通っていました。高校に入るまでしっかりとした運動をしてこなかったので、高校に入ったらまず運動をしようと思い、テニス部に入部。高校時代は運動に力を入れていました。中学時代には文化祭というものがなく、高校で文化祭りという大きなイベントに出会い、文化祭にも力を入れて行こうと思いました。また、他にも新しいことをしたいと思っていて、バンドを結成したり、様々なことにチャレンジしていました。音楽は元々好きで、小さい頃から多くの楽器を演奏したりしてました。 大学が入学してから初めて東京に出て来たんですね。東京で一人暮らしを初めたのですが、大学が八王子の山奥だったので、学校まで2時間くらいかけて通っていました。父親の定年の関係で、一浪したら大学には行かせてもらえなくて。でもその割には「大学に行け」というプレシャーだけはあったんです。もちろん大学では自分がしたいことがあったので、受験勉強は頑張って取り組んでましたよ。