起業したら上手く行っちゃった起業家
株式会社オズビジョン 代表取締役社長 /鈴木 良
インターンの大学生が起業家へ取材する!起業家インタビューのthe Entrepreneur(アントレプレナー)
高校卒業後、18歳で田舎から単身東京へ上京。
22歳で初めての起業(アパレルショップ)
23歳で2度目の起業(web制作会社)
24歳で3度目の起業としてオズビジョンを立ち上げ、10年かけて20億の規模まで成長させる。
22歳から34歳現在まで、3回の起業と12年間の会社経営に邁進中。
働く理由は、
好奇心の赴くまま、新しい扉を開け続けたいため。そして、
一緒にいるだけでいい家族や友達とは違い、
目的で結ばれた仲間という特別な人たちと、一人じゃできないことを達成したいため。
「自分のやりたいことをしてお金を稼ぎたい」という気持ちが起業のキッカケですね。
私は最終学歴が高卒だったこともあり、就職活動をしても良い会社には雇ってもらえないだろうと考えていたんです。そのため私にはサラリーマンという選択肢にあまり魅力を感じることができませんでした。だからこそ自然と起業が有力な選択肢になっていきましたね。
全く不安はありませんでした。学生時代にアルバイトを多数経験していたので「お金ってこうすれば稼げるんだ」という認識を持つようになっていました。
自分が社長になって、アルバイトで自分がやっていたことを同じように他の人にやってもらえればお金をたくさん稼げると思ったんです。
私の中ではとても単純明快な答えでしたね。起業に対して難しいイメージを持っている人が多いそうですが、私には起業が難しいというイメージは一切ありませんでした。
起業当初は経営方針という言葉すら意味を理解できなかったと思います。(笑)
一つ言えるのは、当時はひたすら「みんなの求める経営者」になろうとしていましたね。
私は22歳のときに1社目を創業したのですが、それまで会社の経営について勉強したり指導を受けたことは一切ありませんでした。「経営者」、「マネジメント」といった言葉を考えたことすらなかったのです。
しかし徐々に社員が増えていくにつれて、私自身も社員にとっての「良き経営者」でありたいと思うようになりました。そこで「みんなの求める経営者」になろうとしたのですが、やればやるほど上手く行かなくなってしまったのです。
今にして思えば、社員一人ひとりが求める経営者像はそれぞれ異なるため、そもそも「みんなの求める経営者」になれるはずもなかったのですが、当時はそれすら分かっていませんでしたね。
一度に社員の3割が辞職してしまったことがあります。
この時期は「共に苦労してきた仲間同士の信頼関係が崩壊していく」のを味わってしまうことになり、過去一番辛かった出来事ですね。
先ほど申し上げたとおり、起業当初は社員全員にとっての理想の経営者を目指していたこともあり、理念経営を掲げていました。
理想の経営を目指して理念経営を行うことを決め、人事評価基準の50%をクレドに従えているかどうかで判断するようにしたところ、私の意図に反して社員の3割が辞めてしまったのです。 社員の求める経営者を諦めることは、当時の私にとっては大きな決断であり、とても大きな挫折を味わう経験にもなりました。
起業成功のコツは、、、、、運ですね。(笑)
1回目の起業は全てがダメでした(笑)。
今にして思えば成功する要因は何もありませんでしたね。
当時は服飾ブランドであるドルチェ&ガッバーナ(通称ドルガバ)が東京で大流行していたんです。私はもともと山梨の出身だったのですが、山梨にはドルガバのお店は全くなかったのです。その状況を見て私は「山梨の人たちもお店さえあれば、きっとドルバガの商品を欲しがるだろう」と考えました。
そうしてすぐに司法書士に法人登記を行ってもらった後、店舗の出店場所の交渉を行いました。山梨でも人の出入りが多い駅のテナントにお店を出せることになり、準備は着々と進んでいました。お店を出す場所が決まったので、次はいよいよ仕入れの準備です。どれだけ仕入れる必要があるかを調べるために、1日あたりの来客数から必要な売り上げ等を計算していたのですが、そこで予期せぬ事態が起こりました。
なんと、どうやって計算しても売り上げの採算が取れなかったのです。仕入れを行う前に気がつけたことは不幸中の幸いでしたが、私の初めての起業はこれであっけなく終了しました。
当時の思い出を振り返る鈴木社長