まずは自分が行動!
株式会社IZAコーポレーション / 増田 雄紀
中学、高校時代はバレーボール部に所属していました。私にとって学校というと部活の印象がとても強いですね。高校時代には部長になったのですが、人に指導をしたり怒ったりするのはとても難しいと感じましたね。
運動とは反対に勉強は全くできませんでした(笑)。 だからより一層、部活に熱中していたのかも知れませんね。バレーは集団競技なので集団だからこその難しさはその時に学んだと思います。
運送会社に就職しました。進学できるような頭では無かったので進学は考えませんでしたね(笑)。求人広告を見て給料がいいところがあったので深く考えずそこで働く事に決めました。 仕事は電気屋で売れた電化製品を配達して取り付けるという内容でした。
もともと人と話すことが得意ではなかったのですが、さまざまなご家庭で設置や取り扱い説明を行っていたので、人とのコミュニケーションの取り方やわかりやすく説明をする技術は今でも活かされていると思います。
本当に年代も幅広かったですね。配送先には春に上京してきた学生の方もいましたし、ご年配の方もいました。とてもいい経験だったと思います。
子どもの頃からテレビが大好きで、いつかはテレビの仕事をしたいと考えていました。 そんな時、久しぶりに会った地元の同級生がテレビの仕事をしているという話を聞いて、 居ても立ってもいられなくなり転職しました(笑) 。
新しい会社ではまずADでアシスタント業務を行い、その後はディレクターの仕事をしていました。AD時代は寝る間もなく大変でしたが、とにかく早くディレクターになりたいという目標を立てて頑張り、ディレクターになることができましたね。
「ディレクターになる」という事だけが目標になっていたので、途端に目標を見失ってしまった事が大きいですね。 新しい目標が見つからないまま多忙な日々が続いて、このままでいいのかなと思うようになっていました。自分の将来が見えなくなってきていましたね。
テレビや雑誌で会社の社長を見ると、人生を楽しんでいるカッコイイ大人という印象が強く、会社の代表として新しいものを創り出す事にとても興味がありました。
それなので、退職するときに起業、独立したいという考えはありましたが、その時は何をやるかは全く決まっていませんでした。 退職してからはとりあえず英語が話せた方がいいと考え、英会話の学校に通いだしましたね。
3か月だったので少ししか話せるようにはなりませんでしたけどね(笑)。 そして英会話の学校に通いながら、外国人のお客さんがたくさん来る六本木のレストランでホールスタッフのアルバイトをしていました。