いずれは、経営を超える経営を目指す
ファイナンシャル・プランナー / 鳴澤 大地
今回取材をさせて頂いたのは、FP(ファイナンシャル・プランナー)として活躍される鳴澤大地氏。
FPとは何ぞや?という質問に対し鳴澤さんは「経済的な側面でクライアントの夢を叶える仕事」と言います。
独立後半年で200名へプランニングを施した、スゴ腕FPによる注目のインタビューです。
長野県で生まれ、高校まで長野県でバスケをやりながら育ちました。実は、1年で高校を退学して、また別の高校に入り直した事があります。大学は京都の立命館大学に入学し、そろそろ4回生になります。1年程前からFP(ファイナンシャル・プランナー)として、150名ほどのクライアントを抱え、プランニングを行っています。
ある中国人との出会いからです。
高校に入学した当初は、人生について全く目的意識がなくダラダラと過ごしていました。何となく、自動車整備工になって、何となく友人とバカをやって過ごして、何となく長野で生涯を終える。適当な人間だったし、それで良いと思っていました。
そんなダラダラと過ごしていた高校1年生のある日、中国人が転校してきました。中国人と言えば人民服と自転車のイメージしかなかった僕は、中国人というだけで下に見ていたかもしれません。ところが、実際に入ってきたのは「カリスマ」でした。日・英・中の3カ国語を操り、容姿端麗で性格も完璧。リーダシップを兼ね備えた、非の打ちどころのない男でした。
僕は愕然として、「何でこんなに彼と差があるんだろう」とショックを受けました。それと同時に、彼みたいに魅力的な人間に絶対になりたい、と思ったんです。
彼みたいになるにはどうすれば良いのか。考えに考えた結果、単純に「経験」の差だと思ったんです。彼は僕と同じだけの時間、人生を歩んできたかもしれないけれど、圧倒的に「経験」の量が僕より勝っている。だから僕も経験を積めば彼みたいになれる!というロジックでした。
より刺激に充ちた「経験」を積むためには、長野の片田舎にいるままじゃ絶対にダメだと思ったんです。「都会の大学に進学したい、都会に行けば何かが変われる」根拠のない確信が僕にはありました。
都会の有名大学に進学する為には、今の高校で一浪をするよりも、もっと進学校に入り直した方が金銭的にも安く済む。そう考えて、高校を中退し、入り直す事にしたんです。あの時に中国人の彼と出会った事で、僕の人生が大きく変わったんです。
僕の家は母子家庭でお金がなく、国立大学を目指していました。しかし、第一志望の横浜国大には受からず、地元の信州大学と立命館大学に合格したんです。長野を出たかったので、本当は立命館大学に行きたかったのですが、学費が全く違うし、一人暮らしなので家賃や生活費も掛かる。金銭面で迷惑はかけられないと考えていたので、信州大学に行くと母親には言ってありました。
でも、部屋で悶々と悩んでいる時に、急に母親が部屋に入ってきて「お前、本当は立命館に行きたいんじゃないの?」と言ってくれたんです。正直に「行きたい」と言ったら、「お前が頑張るなら私も頑張るから行って来なさい」と僕を後押ししてくれたんです。あの時は本当に泣きそうでしたね。今でも、理解のある母親の下で生まれてきて心の底から感謝をしています。それで、親の応援もあり、立命館大学に通う事に決まりました。
入学前の春休みに大学4年間をどのように過ごすか設計しました。そこには、「大学3回生になるまでに、自分のビジネスを立ち上げて、学費・生活費を全てまかなう」と記しました。大学1、2回生はとにかく「経験」を積みたかったので幅広く色んな事に手を出しました。
入学してすぐ「LEGEND」というインカレ団体に所属し、その圧倒的な規模に感動したり、先輩と一緒にクラブでイベントを開催したり、ファッションショーのモデルをやったり、”仕掛ける側”になりたくて、インカレサークルを立ち上げたり。1年を通じて本当に色んな経験をしたと思います。